“警察が捏造すると48年間バレないのに科学者が捏造すると二ヶ月でバレるからアカデミアは健全なんだ…”
“あっ、これ呟くと、キチガイクラスタからふぁぼられるけど、フォロワーが二人ぐらい減るやつだ……!”
“上司「ここの動作を設計書と確認したい」
僕「HAHAHA!この坊や、今なんて言った?」
メンバー「セッケイショが欲しいんだってよ」
僕「ここにセッケイショはねぇよ!」
メンバー「ベイビー、分かったらおウチに帰ってママにオシメを替えてもらって寝ろ!」”

なぜ人は、自分のやっていることを外から(上から)説明されないと安心できないのかなあと、つくづく(苛立ちつつ)思う。それは逆に、なぜ、外から (上から)いかにももっともらしいお墨付きがやってくると、簡単に納得してしまうのかなあ、ということでもある。「あなたの現在位置はここです」って示し ているその地図は、ほんとにそんなに信用出来るものなのか。そんなの数年後には捨てられちゃう程度のものなんじゃないのか。

地図を書き換えるってことは、たんに認識を書き換えるってことで、世界を書き換えるのでも、身体を書き換えるのでも、世界と身体とのアクセスを書 き換えるのでもないのに。要するに口先だけのことなのに。そっから先が問題なのに。

作品はたぶん、世界と身体と(言語と)のアクセスを書 き換えようとする実践なのだ。だからそれは、身体の再構成-モ ンタージュがそのまま世界の再構成-モ ンタージュとなり、世界の再構成-モ ンタージュがそのまま身体の再構成-モ ンタージュになる。

そこまで踏み込まなければ、口先だけで分かり易いメタ言説を人々に与えて、なんとなく分かった気にさせて安心させる(興奮させる、危機感をあ おる)というだけなのではないか。でも実際には、それが人にア イデンティティ(あなたの現在位置はここです)を与えたり、「人を動かす」んだったりする。メタ言説こそがナ ルシシズムと相性がいい。それが物語であり、それが言説の政治ってことか。つまんねえな。

“また貧乏人の条件にはもう一つある。金を儲けても、その使い道があるか、ということ。カンボジアにアメリカが農業技術援助をしたら、収量がすぐに倍になってみんな喜んだそうな。これで余分の作物を市場で売って稼げば、みんな豊かになる、というのが援助したアメリカの計算だった。ところが数年して戻ってみると、村はちっとも豊かになっていなかった。調べてみると、収量が倍になったので、農民たちは畑を半分だけ耕してそれ以上は仕事をしなかった(シアヌークの自伝, My War, pp. 123-4)。理由は二つあって、一つは金を得ても特にほしいものがなかったということ。貧乏な村に売れない商品を持ってくる物好きな商人はいなかったので、それまでその農民たちは、お金で何が買えるのかまったく知らなかった。だから稼ぐインセンティブがない。またもう一つ、カンボジアはアジア的専政(© ウィットフォーゲル)国家にありがちなこととして、ちょっとでも余裕ができると役人等々がたかりにくるので、結局手元に残らない。目をつけられないためには余計なものを作らないほうがいいのだ。これは李氏朝鮮でイザベラ・バードが目撃した状況でもある(バード『朝鮮紀行』講談社学術文庫) 。”